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学校概要

山陽学園と共に歩んだ上代先生たち

上代 淑(かじろ よし)先生

1889(明治22)年に山陽学園の前身である山陽英和女学校に着任。その後留学し、アメリカの女子教育の母と呼ばれるメリー・ライオン創立のマウントホリヨーク大学に学ぶ。帰国後は本学園の教壇に立ち、日本の女子教育の基礎を築く。敬虔なクリスチャンである上代淑は『愛と奉仕』の精神を携え、1959(昭和34)年に世を去るまで生涯を女性の自立のための教育に捧げた。

  • 上代 淑先生

    上代 淑先生
    (1871年~1959年)

  • マウントホリヨーク 女子大学時代 (1897年

    マウントホリヨーク
    女子大学時代(1897年)

  • 授業風景

    授業風景

  • 生徒の前で話す 晩年の上代 淑先生

    生徒の前で話す
    晩年の上代 淑先生


山陽学園を日本の女子教育のトップレベルにまで引き上げられた上代淑先生は、《人のために生きる》人生を送られました。生徒たちにはわかりやすい言葉で《人のために役立つこと》を話され、それらをまとめたものが《日々のおしえ》となりました。学園の生徒・職員は教えの実行につとめています。

日めくり

上代 晧三先生

上代 晧三先生
(1897年~1984年)

上代 晧三(かじろ こうぞう)先生

上代淑の養子として淑亡き後、日本医科大学教授であった昭和40年(1965年)に校長に就任しました。昭和54年(1979年)。杉本勝副校長にその職を譲り、山陽学園学園長に就きました。昭和59年(1984年)に86歳で没するまで、上代淑の遺訓である「生徒第一」「一人一人を大切に」を身をもって実践しました。これら山陽学園の基本理念は没前に記された山陽学園教育憲章にすべて凝縮されています。また、上代晧三は日本を代表する生化学の研究者でありながら、「アララギ派」の優れた歌人でもありました。